螢 – カゼドケイ

(2000)

2000年7月26日発売のメジャー・マキシシングル2枚目。
相変わらず眼力の強い螢さんのジャケット。
2000年代は精力的に活躍していた時期であり、音源リリースもライブも頻繁にあった時期である。
重たすぎないふわりとした漂う幻想的で、現実感の希薄なデカダンさや、ぼやけかすれたタッチのカゼドケイのビデオクリップもマッチしていて実に良い。
撮影のロケーションはモンゴルのようだが、路地裏のような場所については日本のようにも見えて詳細は不明。
曲に市場に応えるメジャー感はあるものの、どうもディープな個性では拭いきれない年齢並みの垢抜けなさもあり、そこの相俟ったところが彼女の良さでもあるのだが、
詩と言う武器でその不思議な世界観だけで担うには多少のおぼつかなさを本人も自覚していたのは定かではないが、節々の綴る言葉にはその当時、ひょっとしたら今でもインドア系リスナーの耳を捉えるには十分な説得力があり、
CoccoやCharaっぽい路線に進む方向性でやっていく感じもあっただろうな、と今更ながら彼女が存在しない日本の音楽界に惜しさを感じる。
ヒカシューの坂出雅海が作曲に参加。
1.カゼドケイ(映画「東京マリーゴールド」挿入歌)作詞:螢、作曲・編曲/坂出雅海・iori
荒っぽいプログレッシブなギターが時折混ざったりするものの、終始ローテンポで楽曲の暗澹なのにエセリアルでおだやかな空気は壊さない。
全体的なダーク感はメジャーの楽曲の底にあるポップさとメロディで解消している。
映画にも螢出演時に挿入されていた曲だが、主人公の憂鬱さのシーンを演出するのに役立っていたが、それにしては螢の個性が強すぎて彼女を知らない映画試聴者には?マークが頭に浮かんだかもしれない。
2.テツゴク 作詞:螢、作曲・編曲/阿久津隆一
UKのSiouxsie And The Banshees、Dead can dance周辺の妖しいゴシック感があり、歌主体ではなくポエトリーとしてダウナーに言葉を語られる。アッパーさはなく冷たさを保ちながら終わる。
3.羽火 作詞:螢、作曲・編曲/坂出雅海・iori
9分超の長作詩編。
バックトラックに幼げな螢の声と、カゼドケイのメロディもリミックスしていて、荒々しいギターも中間で挿入されたり、RadioheadのParanoid androidのようなプログレッシブさを思わせるユニークな曲である。ポエトリーと歌うところは半々の配分で構成されていて、不穏ではあるが、特にバランスの悪さは感じられない。
Best track:カゼドケイ

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螢-わにがらヘビ

(2000)


きえそうで きえそうで
ないていたよ なくはずなのに
つきがかける 何もしないでいる
キエテユク

2000/3/23リリース。3作目メジャーミニアルバム。全7曲。
彼女の顔面がアップになった眼力の強めのジャケットになっている。
引き続き、陣内大蔵が全面的にプロデュース。ヒカシューの坂出雅海が曲を提供しており、知る人ぞ知る…という作曲家が参加している。
螢が自ら作詞作曲を一人で手掛けたものも2曲あり、一人独つような弱いメロディを朗読する声が愛おしい。
彼女が発するロリータウィスパーボイスはCranesのAlison Shaw、Cocteau TwinsのElizabeth Fraserを思わせる色めきだった趣きがあり、音楽性もUK方面の古いゴシック的な妖しい揺らめきを見せる。
ただこのダークな印象、萎縮していってポジティブに広がる可能性はなかったのかな…というのは後出しの感想だが、2000年代の徒花のようにひっそりと彼女は行方をくらませた。
まるで最初からいなかったのように。我々の胸中に深いやさしい得も言われぬ疵痕を残して。

・アブラムシ 作詞・作曲:螢
弱いメロディともつぶやきともおぼつかないポエトリーから始まる30秒程度から始まる導入。
声音に消えてゆく。
・ケムリノオト 作詞:螢、作曲:螢・陣内大蔵 編曲:陣内大蔵
急激な急き立てるようなピアノとデジタルエフェクトから急展開する螢では速めの曲。
とは言ってもメロディや朗読はちゃんと聴き取れるレベルでテンポよく打つように詩が進んでいく。
湿った感じだが、不思議な心地よいポップで悪印象はない。
・蛾 作詞:螢 作曲:つのだともみ 編曲:陣内大蔵
悲劇的な笛の音が重たいが、すぐにふわふわの空間的な音響とミステリアスな声色が落ち着く一級のメロディ。
こちらもテンポが走り気味だが、聴き心地のバランスがちょうどよくノイズとエフェクトが添えられている。
・スモモ 作詞:螢 作曲:坂出雅海、編曲:陣内大蔵
ミステリアスな宇宙空間が展開される。落ち着かない小気味の悪さと後味がよくない悪夢のような冷ややかで攻撃的な視線が刺さる。
中間がややノイズに隠れ気味だが、ユニークで編曲で言葉のかたまりが淀みなく伝えられる。ギターはあくまで音響的に使用されていて、スロウだが、それらしいギターソロの場面もある。
「ムダな人数」はクイックジャパンの表紙にも当時採用された螢のイメージを決定づけたピリッとする棘のあるフレーズであった。
・くろりぼん 作詞:螢 作曲:つのだともみ 編曲:陣内大蔵
お気に入りの曲。新居昭乃の曲に通ずるそれらしいメロディがある。
一番おだやかに歌っている曲で弱弱しさを備えながらもやさしく愛おしく流れてゆく。
「ジュワキきくの見てみたい」と言う歌詞が目線が少女的だなあと思う。
・すみれいろ 作詞:螢 作曲:Iori & 坂出雅海 編曲:中山信彦
こちらも優しくピアノが響く、告解のようなポエトリーというより、つぶやきを淡々と漏らしていく。
言葉の選び方が実に女の子っぽい幻想的な作詞。前半の曲群に比べて、平和な雰囲気であるが、終わり際にギターソロとノイズですべての音がかき消されてゆく。
・アブラムシ 作詞・作曲:螢
独唱のみの朗読。少女というより子供っぽい。実際子供なのだが、かなり幼く聴こえる。
後半で最初の導入部のアブラムシの詞を繰り返し、一文を付け加えた後、そのままフェードアウト。
Best track:くろりぼん




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螢 – ハリガネ

(1999)

1999/11/20リリース。メジャーデビュー作。
今は亡きファッション雑誌BOONのインタビュー記事で初見で惚れて、購入に至る。自身と彼女とのファーストコンタクトの一枚である。
当時、音楽についてあまりジャケ買いなどの経験がなく、よもや学生の身分の限られた小遣いで購入することなどなかった慎重派である自分が、聴く前に迷うこともなく惹かれるように購入したのはこれが初めてだった。
購入後、すぐ帰宅し、CDをプレイヤーに入れて歌詞カードを眺めながら、曲を聴いたところ、彼女の言葉の詩的世界観が耳に印象が残りつつも、何より彼女の年齢等身大そのままの揺蕩うような『声色』が刺さった。
無駄に過度なオートチューンなどの加工をかけることもなく、拙いといっても差し支えない歌唱力ではあるが、そのウィスパーボイスを生かしたのは英断であり正解であろう。
多感であった時期、厭世的でモノクロだった自分の世界に、彼女の紡ぐ深く不思議な作品に触れ、ちょうど色がついたように波長があった。閉鎖的でデカダンでエピックな詩的世界観とドメスティックでやや古めかしい神秘性の反面、内から発するそのエネルギーは外へ、異世界や国外への第三世界の興味や意欲へと向いているという不思議な少女だった。
90年代後半~2000年代の女性アーティストブームの時代性もあった中、一切それまで音楽を視聴していなかった自分には他の者より、圧倒的に色濃く疵痕を残した一人と言えるだろう。リスナーとしての趣味嗜好を確実に影響されたことは拭えない。
楽曲制作については作詞は全面的に彼女が行い、作曲は一部にも関わりつつも、多くは他者に委ねられていたところがあり、その音の手触りはプログレッシブという評する人間もいたようだが、BJORKのHuman behaviourや彼女が好むというThe Cranberriesもそこはかとなく意識されていたのではなかろうかと感じた。
他にUK方向で若干スピリチュアルなムードはDead Can Dance、Enigmaなどのゴシックロック、エーテリアルウェーブ、ニューエイジ、ダークウェーブなどの匂いが嗅ぎ取られ、重ためで沈鬱な雰囲気は拭えないが、彼女のエネルギーが内側から発せられ、痛みを吐き出しつつも、視線は外部のここではないどこかへの小さな希求、探求心への芽生えがあり、ボヘミアンな雰囲気もあってか、ヘヴィと言うほどまでには感じられない。
彼女の場合、厳密にはあくまで「アーティスト」ないし「詩人」として捉える見方をするが、歌唱力は前述したとおり、等身大の裸の年齢そのままの青さが眩しく、それに負けない彼女の耳元に残る幼いミステリアスな『声色』と、彼女の魅力を理解し、引き出せる外部ライターとプロデューサーの匠な連携によって、彼女のヴィジョンとまるで元々一つの物であったかのような結実したレベルの完成度となっている。
サウンドプロデュースには過去にJ-POP界で一線で活躍し、現在、現役牧師で全国を兼業ミュージシャンとして流す陣内大蔵が全面に関わっている。
ちなみにカラオケの機種にもよるが、彼女の曲がいくつか入っている機種もある。
・ハリガネ
作詞:螢、作曲:中村英俊、編曲:陣内大蔵
淡々とした鍵盤の音色から始まり、ダークなムードの歌詞ではあるが、主張しすぎないメロディと星くずを散らしたような幻想的な朧げな光が広がる。
感傷的で相手の距離を詰めすぎないやさしさや打ちひしがれた寂しさを湛え、凍てつく叫びが堪える彼女の代表曲の一つである。
・さくらんぼ
作詞:螢、作曲:Iori、編曲:陣内大蔵
どの曲もそうなのだが、言葉を聴かせるという意味であくまで彼女の声と詞にフィーチャし、メロディも邪魔しないように、意識して過度に華美すぎにしたり、楽器を主張したりせず、言葉を伝えるようにバランスよく配分されている。
単調で無理のないテンポと美しいメロディと囁きは心地よく胸を静かに打ち、ネガティヴな語りはありつつも、おとしやかに沁み込み、厳かに立ち去るようにフェードアウトしていく。
・大切ココロ
作詞:螢、作曲:阿久津隆一、編曲:陣内大蔵
インディーズ時代のミニアルバム、「ガラクタ」収録のリメイク曲。神秘的な曲で懺悔のような告解とともに幕開ける曲。
過去形文が繰り返され、身体的苦痛と悲劇を延々に語り、願望と救けを弱く訴えている。
救けというには無理に押し付けすぎず、同情を誘うが、主張が弱い部分で諦観と吐露が混じり、行動を諭しにくい部分は国民性というか、日本人の美徳と悪癖が混ざったような…
3曲の内では一番「歌う」というより、明確にポエトリーリーディングをしている曲である。
Best track:ハリガネ、大切ココロ

PVの最後0.1秒で最後にサブリミナルのように螢の寝顔が差し込まれる。それに気づいたのはDVD『マーヴルヴィニール』購入大分後のことである。
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Nine Inch Nails-With teeth

(2005)

六年のブランクを空けての作品。
NINがキャリアにおいて寡作なのは並行して多くのミュージシャンとの仕事を引き受けたり、スランプということもあり、同時にさらにたくさん色々なことをやりたいという指向性の現れなのであろう。
ただそこまでの期間を開けても、21世紀現代の音楽制作の今となっては、デメリットでも日常的に不思議なことでもなく、さしたる問題にもなりえなくなっているし、全体のクォリティと楽曲の良さの面では申し分ないアルバムとなっている。
この頃から心地よく無理のない自然体で身動ぎがしそうな、シンプルで耳に残るカッチリとしたドラムやビートの曲群が顕著に顕れ始める。この後のYear Zero、Slipも同様の傾向が見られ、強すぎない高揚感とバランスの良いポップな趣きがある。
仄暗さはそのままずっと変わりなく、激しさが減退した分、聴き疲れが少なく、以前より落ち着いたという見方もできるが、The Hand That Feedsなどのトラックからも挑戦的に煽るような怒りや歌詞など、野心を捨てたような感じは受け取れない。
元々アンビエントに興味を示していたことからも耳を落ち着ける清涼的な曲もあり、派手なアルバムではなくとも、キャッチーさやメロディの美しさ等も多くのリスナーにとって十分で、やや暗いと言うことを除けばだが、普段聞きしても軽快にノれるアルバムではないだろうか。
逆に言えば音楽に極端な色濃さを求めるタイプには中途半端、ビートをそこまで求めないリスナーにはやや固めな印象になるとも思えるかもしれないが…
またアートワークの良さも相変わらず美しく、個人的にはNINの中で随一を誇るお気に入りである。
Best track:The Hand That Feeds、Only、Right Where It Belongs、Every Day Is Exactly The Same

Nine Inch Nails -Broken

(1992)

ジョン・マルム・ジュニアと共同して立ち上げたNIN INCH NAILSのフロントマン、トレント・レズナーのプライベートレーベルをNothing Records設立を祝する一枚目。
EP扱いではあるのだが、実質NINのディスコグラフィーを代表するアルバム並みのインパクトを与えたマテリアル。
全体の印象はポップな前作と一変して、冷ややかなムードと激烈で猛攻一辺倒なメタリックなリフで高まる感情をぶつけた作風となっている。
NIN全体で根底のダークなテーマは一貫はしているのだが、この一枚だけで言えば攻撃的なノリは他のアルバムと対比し、別格のものとなっている。ジャケットはNINの他のジャケットではあまり見ることのない真っ赤な燃え盛る炎で覆われているが、何もかもを縦横無尽に焼け焦がすエネルギーはともかく、クールであれどホットなイメージはあまりない。
これ以降でメタル方面に大きく舵を振らなかったのはトレント彼自身が元々の多様な音楽性、パンクやプログレッシブロック、エレクトロニックなどのバンドがバックグラウンドにあったからであろう。
一応、インダストリアルメタルの範疇である曲は他のアルバムでないこともないし、過去に1993年と1996年にはグラミー賞のベスト・メタル・パフォーマーに選ばれてはいるが、このアルバム自体を除いて細かいことをうるさく言えば、彼自身はインダストリアルロックというアイコンが相応しい。
なお、カバー曲はAdam and the Antsの楽曲、Physical (You’re So) と当バンドのトレント・レズナーも参加のPigfaceの楽曲Suckとなっており、オリジナルに引けを取らないアレンジとなっている。またPVでコーラスとして参加しているデビュー前の若いマリリン・マンソンの姿も見ることができるGave Upも必見。
Best track:Wish、Last、Gave Up

IN FLAMES – Come Clarity

(2006)

このアルバムに一貫して身体の深奥を揺さぶるのは感傷で充満した衝動とアグレッシヴな怨憎に有り余る慟哭である。
鋭利な匕首で乱暴にえぐるような刃傷による叫びと、雑に落っことしていったペシミスティックな過去への憐憫達が後を追うようにして、マグマのごとく噴出する。
胸に詰まるような怒りとも泣きとも見分けがつかぬ、あるいはそのすべてが入り混ざった感情が零れるようにボロボロと荒ぶるソリッドなリフが流れ出し、Reroute to Remainから大々的にモダンな変化をした経過から今作で完成形として到達した、第二部オルタナティブメタル期の、彼らのディスコグラフィーでも最も大胆で野心に満ちた作品である。
全編にわたり穿たれる突き刺さるような豪雨のようなリフの中でも力強い鼓動を魅せる「Take This Life」、「Dead End」のLisa Miskovskyによる美しき歌唱とIn Flamesのエッジィなリフのコラボレーションもまた嘆きのメロディと悲劇的で冷酷無比なコントラストを彩っている。
強靭な音の嵐の間に配置されたバラードの「Come Clarity」は、アルバムに共通した鎮痛な重々しさはあれど、むせ返るような攻撃力はない。あふれ切りそうな棄民感と悲愴をカップいっぱいに湛えていて今にも呻きが染み出しそうな重要な曲だ。
このアルバムでIn Flamesはオルタナティヴメタルへの進化を決定的に位置付けたといえ、新生In Flamesとして新しい趣にいささか不得手を示す古参な保守派もそのでき映えに驚愕したのではないだろうか。
ザクザクとしたスラッシュメタルを好む御仁にも刺さり、全盛期のメンバーが揃った時期のメロディックデスメタルとオルタナティブメタルを体験する皮切りになるドラスティックな一枚。
また、ジャケットも自身は当バンドのアートワークの中ではクールでシンプルで一番お気に入りである。
Best track:Take This Life、Dead End、Come Clarity

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